2008年8月26日 (火)

長雨

まだまだ8月だというのに、まるで夏を忘れてしまったかのように毎日毎日雨が降り続いている。
太陽が顔を出さなければ気温が上がるはずもなく、いままでの最低気温がそのまま最高気温といった猛暑とは無縁の日々だ。
今しも、低く降りた雨雲にランドマークタワーはすっぽり頭を包まれている。
遠くから見るその立ち姿はなかなかに幻想的である。

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2008年8月23日 (土)

横須賀に原発を作るな!

横須賀に原発を作るな!

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2008年8月21日 (木)

一雨ごとに秋が近づく!

日本ソフトボールチーム金メダルおめでとうと書こうと思ったのだけど、殆んどのブログがこの話題で持ちきりなので書かないことにします。

あ~あ、書いてしまった。

今夕6時過ぎからポツポツと降り始めた雨は、まもなく本格的な雷雨になり、凄まじい稲光と雷鳴が辺り一帯を制圧した。
しばらくすると近くにドスンと雷の落ちた音。
我が家も直撃雷に見舞われる危険性があったので、PCの電源を切り、念のため電源コードをコンセントから外しておいた。
高圧電線に直撃雷があった模様で、停電したものの短時間で回復した。
やはりPCを切っておいてよかった。
1時間以上荒れ狂っていた雷雨も過ぎ去り、今は嘘のような静かさと涼しさが残るのみ。
室温は27度外気温は21度。
一雨ごとに秋が近づいているようだ。
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2008年8月17日 (日)

もう 秋!

午後になると雨も降り出し、3時過ぎの一番暑い時間帯の気温が22度。
室温も27度でクーラーは勿論、扇風機さえ必要ないほどの、まるで秋のような陽気。
ああ、生き延びさせていただきましたと言う感謝の声が思わず出てしまう。
そういえば8月10日の中日新聞は「富士冠雪」を報じていた。
これが初冠雪ならば、実に1914年8月14日以降、史上最速の初冠雪となる由。
まあ、明日からは30度を越える気温が続くそうだが、今年の秋は意外に早いような気もする今日この頃ではある。

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2008年8月14日 (木)

「平和への誓い」長崎・平和祈念式典

「平和への誓い」全文 長崎・平和祈念式典
 あの日、私は9歳でした。当時、長崎市南部の南山手町に祖父母、両親、兄1人、5人の姉妹の大所帯で生活していました。

 8月9日、朝からの空襲警報が解除になったので防空壕から出て空を見上げていると、友だちが防空壕に忘れ物をしたと言うので一緒に中に入りました。

 その時です。突然強い風が吹いて持っていたろうそくの灯が消え、暗闇の中に火の塊のようなものが飛んできました。やがて近所の人たちが次々に駆け込んできて、皆口々に「大変な爆弾が落ちた」と叫んでいました。

 私を捜しに来てくれた母はガラスの破片で背中に傷を負っていました。末の妹にお乳を飲ませていたとき、爆風で割れた窓ガラスが背中に刺さったのです。家族の無事を確認しましたが、浦上地区の中学校に登校した3歳年上の兄だけは夜になっても帰ってきません。その日の朝、兄はどういうわけか「頭が痛かけん、学校に行きたくなか」と渋ったのを、父が「なんか男が、頭の痛かくらいで学校ば休むな」としかったのです。

 無理に送り出した父の悔やみようは大変なものでした。翌日から毎日毎日、父と母は浦上一帯を捜し、黒焦げの死体や、「水が欲しい」と足をつかむ瀕死の人たちの顔を一人ひとり見て回ったと聞きました。結局、兄を見つけることはできず、中学校で焼いたたくさんの死体から骨を1本だけもらい葬式を済ませました。私は今でも、兄がひょっこり元気な姿で帰ってくるのではないかと思っています。

 両親は、ものすごい放射線を浴びていたのです。母は翌年の10月に亡くなりました。33歳、妊娠5カ月でした。父もその4カ月後に亡くなりました。残された私たち姉妹は別々の親せきに引き取られ、ばらばらの生活を強いられました。その後、姉と妹の2人は原爆症とおぼしき病気で亡くなりました。

 悪魔の原子爆弾は一瞬ですべてを焼き尽くし、何十万人もの尊い命を奪い、生き残っても後遺症で人を一生苦しめる凶器です。核兵器の廃絶と平和を求める世界の人々の願いとは裏腹に、今なおアメリカなど大国のエゴで大量に保有され、拡散されつつあります。東西の冷戦が終わっても、民族や宗教の違いや貧富の差からくる戦争は現在も世界中で絶え間なく続き、多くの人々が苦しんでいます。

 しかし、わが国は戦後63年間1度も戦争をすることなく、1人の日本人も戦争で殺されたり、他国の人を殺したりしていません。これは、多くの人々の犠牲の上に定められた平和憲法のおかげです。私は、この平和憲法と非核3原則を日本のみならず世界中に広げていくことこそが、戦争をなくし、核兵器の増大と拡散をとめる有効な手段であると考えます。

 地球上のすべての人々が、いつまでも平和で豊かに暮らしていくことを願ってやみません。

 2008年8月9日

 被爆者代表 森重子

2008年8月 5日 (火)

エコバイク

このサンドイッチ配達用のバイクは世界でも屈指のエコバイク。
ガソリン、ハイブリッド、バッテリー、燃料電池。
いえいえ、いずれでもありません。
両側にしっかり固定している2個のボンベがヒントです。

このバイクは空気で走ります。
勿論、地球上に無尽蔵にある空気で走れば究極のエコバイクですが、2個のタンクに詰め込まれた圧搾空気を動力源として走ります。

そういえば、インドの国民車メーカー、タタモーターズは、圧搾空気で走る空気自動車One CATを「電気自動車を上回る究極のエコ自動車」として年内にも発売するとか。
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2008年8月 4日 (月)

レギュラー186円

一夜明けて8月1日にはレギュラー186円。
今回は、値上げ前日に満タンにしておくというささやかな自衛手段はとらなかった。
ここまでくると、もはや、個人での対応は限界だと言わざるを得ない。
200円の高値を目前にして、車への決別を真剣に考えている人も多いのではないだろうか。

まあ、確かに、運転手付きの黒塗りのセンチュリーに乗って、黒板塀の高級料亭に通うような政治屋にとっては、100円のガソリンが200円になろうと別に痛くも痒くもないことに違いはあるまい。
問題は、北の将軍様のご令息をことあるごとに非難はするものの、自分たちはファシストに純粋培養された、無能さだけが売り物の政治屋という特権階級に成り下がっているという、明白な事実に、無能なるが故に気づかない保守本流の一山幾らの2世3世の国会議員と言う存在である。

さらに、今、生活必需品をも先物取引の名の下に、儲けの種にしてしまう「新自由主義」なる拝金主義は、人々の怨嗟の的になりつつある。
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2008年8月 3日 (日)

ハイビスカス

最初に一輪だけ咲いて、そのあと暫く音沙汰がなかったハイビスカスも、連日の猛暑に誘われたものか、2番目3番目と次々に花が咲いている。
小さな蕾もたくさんついているので、これからも開花してくれるであろう。
我が家の花園も、いよいよ夏本番である。
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2008年7月31日 (木)

星の王子さま

1944年7月31日、この日コルシカ島ボルゴ基地から、晴れ渡ったコルシカの空に飛び立った1機のF-5B(P-38の偵察機型)は、2度とその基地に帰ることはなかった。
その機を操縦していたのは、44歳の老齢のパイロット。
十代、二十代のパイロットが殆んどの戦闘機乗りとしては異常ともいえる年齢だが、彼の空に対する熱意が、偵察機のパイロットとしてこの基地に潜り込ませたのだった。
そういえば、東京初空襲で有名なドーリットル爆撃隊にも彼は志願したとか。
彼の名前は、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ。
日本でも彼のファンは多い。
南方郵便機でデビューし、夜間飛行、戦う操縦士など多数の作品があるが、なかでも星の王子さまはもっとも有名であり、私も大好きな作品である。
2003年、マルセイユ沖の海底から機体の一部が引き上げられ、機体番号からサンテグジュペリの乗機であることが確認されている。
撃墜したのは、ドイツ空軍のホルスト・リッパード。
彼もサンテグジュペリのファンであり、サンテグジュペリであることがわかっていれば撃墜しなかったのにと語ったという。
当時から、ドイツ側にもサンテグジュペリのファンは多く、無線で捜索状況を傍受し、ドイツ独自にチームを編成し捜索した。
又、これは余談ではあるが、1943年4月18日、ブーゲンビル島上空で連合艦隊司令長官山本五十六の乗機、一式陸攻を撃墜し、山本五十六を暗殺したのもP-38である。
合掌。Photo

2008年7月29日 (火)

米高校生「国が主導して若者を特攻させるなんて許せない!」

「お前たちだけを死なせはしない、俺もかならず後から行く」。
こう言って、多くの若者たちを死地に送り込んだ上官は、戦後おめおめと90歳まで生き延びたのだ。
結局、今も昔も日本の指導者を自称する輩にとって、「愛国心」は国民に強制するだけのものであり、己が保持するものではないようだ。
中國新聞の記事はこちらです。

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